富士山を見ながら
横浜市営地下鉄ブルーライン「立場」駅は、長後街道とかまくらみちの交差する場所にあります。近隣の農家のみなさんが、駅のコンコースで野菜を販売する様子を見ながら、バスロータリー側に出て、ふと右手の空を眺めると、冠雪の疎らな富士山がのびやかに裾野を広げています。
横断歩道を渡り、大手スーパーの裏に沿って住宅街に入ると、人だけが通行できる細い道になります。
疏水にかかる小さな橋を渡り、正面にJA横浜、右手に公園、その向こうに共働舎のベーカリーショップ『はなむら』と園芸温室が見えます。
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ビオラとノースポールの香り
敷地内に入ると花の良い香りがして、マスクを着用していることを忘れます。
最盛期を迎えるパンジーの手入れをする皆さんの姿が見え、時折り作業の指示や時間を告げるスタッフの声が、心地よく耳に入ります。
年間を通してこの場所で栽培される花苗は、一般販売のほかに、企業や公園管理の土木事務所などにも出荷されます。
どこに目を向けても、忙しそうに手を休めることなく、熱心に作業する皆さんの姿が見えます。
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小麦を挽く
外に並ぶ紙の袋を見ていたところ、製粉室から「中を見てみますか?」と声をかけられました。振り向くと、白いコックコートにハット姿、眼鏡をかけた男性が製粉室の戸口に立っています。まるで絵本の中の職人さんのようなその人は、ここで製粉を担当する小林さんです。
トレーラーハウスの製粉室の中は小麦粉で真っ白、小林さんのコックコートから見える手も真っ白です。
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小林さんは、週3回ほどここで製粉を担当します。
この日は作業を終えて、製粉機のフィルターの掃除をしているところでした。
「右から、白、少し茶色が混じる白、茶色、ふすまに分かれて粉が出てきます。共働舎ではパンやお菓子に白の粉を使っていますが、ときどき少し茶色の粉も使います。」
1月の寒波到来で、製粉室の中はしんと冷えます。
「小麦は温度に敏感です。夏場はクーラーをつけっぱなしで作業しますが、冬は寒いので丁度良い温度です。」
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共働舎では、畑で小麦を栽培しここで製粉を行ったあと、一部は共働舎でパンに、また、同法人の『はたらき本舗』でお菓子に使用し、その他は横浜市内のパン屋さんに出荷されます。
この小麦を100%使用したクッキーもありますが、パンに対するその割合は10〜30%程度で、パンにより異なります。
「パンに国産小麦を100%使用すると、生地がたいへん重くなり膨らみがよくありません。工房では、いろいろと工夫してパンやお菓子に使用しています。」(就労支援事業/係長・我妻さん)
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パンをつくる
共働舎では毎日7〜8種類の生地をつくり、焼いています。
食パンの生地は4〜5種類、菓子パン、カレーパン、フランスパン……などですね。
お菓子は、『はたらき本舗』という別の事業所でつくっています。
生地によってパンの焼き上がる順番がありまして、朝一番にカレーパンや菓子パン系がお店に並びます。
生地にはたくさんの種類があるのですね!
パンは何人でつくっていますか?
今日は、パン工房から黒田さんがインタビューにお答えしますね。
黒田さん、何人の仲間でパンを焼いていますか?
黒田さんと……。(指を折りながら、名前を数えながら。)
えーっと、全部で……。
利用者さんは10名ですね。
スタッフは2名、パートスタッフが3名です。
大所帯ですね!
7〜8種類の生地をつくり焼くのはとても大変なイメージですが、
パンはすべてその日につくるのでしょうか?
生食パンは“湯種製法”という生地で、前日から仕込むものもあります。
朝、前日に仕込んだ生地に他の材料を混ぜて焼き上げます。
一般に油脂で甘みを出すところを、大豆ペーストを加えて
甘みを引き出すなど、いろいろな工夫があります。
パン工房では本職のパン職人が一緒につくっていますので、
この先は専門領域で……、説明が大変むずかしくなります。
パンづくりのお話しは、聞いているとまるで化学のようです。
考えてつくる人たちは、本当にたいへんだと思います。
形にできることは素晴らしいと思います。
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「フレンチトーストはお父さんもすき。」ときどき買って帰るのだそうです。
ところで食パンに “生” と書かれていますが、
これは何が “生” なのでしょうか?
それはですね、
(笑いながら、我妻さんに「どうぞ」と手を差し伸べ。)
それは……、日頃つくっている黒田さんに聞いてみましょうか。
黒田さん、“生食パン“ の ”生“ について説明をお願いします。
食パンの生地は235×2、メープルは130×2、
ぼくが量りました。
プレミアム、ぶどう、レモン……。
つまり……、
プレミアム “生食パン“ は235グラムの生地を2つ使って、
このひとつの食パンが焼き上がります。
メープルなどの少し小さい形の “生食パン“ は130グラムを
2つ型に入れてひとつのパンに焼き上がる、という説明ですね?
ぼくが量りました。
ということは、プレミアム “生食パン“ の焼く前の重さは
470グラムもあるのですか?
そうですね。
焼いた後も重みがありますが、元の生地もかなり重たいですね。
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先日、プロのパン職人の方に障害のある方がつくるパンを食べてもらって、
アドバイスをもらう “品評会“ がありました。
私たちも出品したのですが、そこで黒田さんが活躍しました。
この “生食パン” の生地は水分が多く、成形がとてもむずかしいため、
今のところ黒田さん以外にできる人がいないのです。
グラムの正確さも求められますので、まさに白羽の矢が、という感じでした。
そうすると、共働舎でつくる “生食パン” の成形は、
黒田さんが一人で行なっているのですか?
ぼくが量りました。
黒田さんは、とても器用で正確な手を持っていますね。
工房の外から窓をのぞくと、食パンがたくさん並んでいますが、
“生食パン” はすべて黒田さんが量り成形しているのですね。
ところで、その “生” についてですが……。
全員:(笑う。)
そうでしたね。
共働舎の “生食パン” は時間を置いた後でも
焼かずにおいしく食べることができます。
焼かない=生、という意味です。
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パンを売る
ベーカリーショップ『はなむら』ではパンと陶芸作品、
『はたらき本舗』でつくるお菓子類、
そして外の園芸温室の花苗を販売しています。
パンの販売については、東さんがインタビューにお答えします。
接客のお仕事はとても大変なイメージがありますが、
ご自分で選ばれたのでしょうか?
はい。接客がすきです。
とても楽しいです。
どんなところが楽しいですか?
お客様とお話しするところです。
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東さんは『街パン』の会場でも販売されていましたね?
はい、『街パン』と……区役所と。
いつも週に何回、外部販売にいきますか?
『街パン』以外は週に1〜2回です。
接客は立ち仕事ですが、そのあたりは大変ではありませんか?
平気です。
あまり気になりません。
お茶休憩のときも、立ったままのこともあったりして、
皆さんは立ち仕事に慣れていますね。
はい。休憩時間も楽しいです。(笑いながら。)
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ともに働く
『はなむら』のお店は、利用者さんが5名、パートスタッフが6名です。
少し前まで、開店前のルーティン作業・準備はパートスタッフで
行っていましたが、現在は作業内容を日替わりにして、
利用者さんにお任せしています。
テーブル拭きや玄関掃除など、細かなことですが、
できることがたくさんあります。
継続して行く中で、できるようになることも、たくさんあります。
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以前、パンを選ぶのに迷っていたら、そっと横に来て
「こちらが期間限定のパンで、とってもおいしくて形もかわいいです。」と
おすすめされたことがあります。
セールストークに弱いので、ではこれを! と購入したのですが、
本当においしくて、パンチがありました。
あのパンは……、やっぱり期間限定で今日はありませんね。
そんなことがあったのですね。
どんなパンですか?
クリスマスのチキンの形をしたパン(※)で、中に照り焼きチキンと
じゃがいもやチーズなどが細かく刻まれて餡のようになって入っていました。
ボリュームもすごくて……。
見た目とまったく違うパンで、そこにも驚きましたが、おいしかったです。
※2020年12月発売のクリスマス限定『クリスマスチキンパン』
とてもうれしいですね。
あのパンは特徴がありましたね。
説明されなければ手に取らなかったかもしれないのですが、
すすめてくださった人の商品への愛着を感じるコミュニケーションが、
とても心地良かったです。
おすすめが得意な人やパンづくりが得意な人など、さまざまだと思いますが、
東さんのように皆さんはご自身の希望で、その作業を担当するのでしょうか。例えばそれは、園芸や陶芸も含めてですが…。
そうですね、年に一度、利用者の皆さんに希望を聞いています。
中には作業を変更する人もいます。
黒田さんのように、陶芸からパンづくりに変更などですね。
陶芸……。(腕を顔の前で交差してバツ印をつくりながら。)
陶芸よりパンですか?
陶芸……。(再び、腕を顔の前で交差してバツ印をつくりながら。)
私たちから見ると、黒田さんは陶芸の作業にとても向いているように見えました。
パンづくりのお話しでもありましたが、形や分量に対しとても正確です。
今はご本人が選んだパンづくりで、その正確さを発揮して活躍しています。
パンはまだ考えることがある。
そうですね。
得意なことから、さらにできることが増えていきます。
そうした中で、東さんのようにずっと接客の人もいますね。
ずっと接客がすきです。
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“コラバス”という言葉は造語なのですが、「ともに働く」、
「すべての人々のために」という意味があります。
ともに働く人たちや場所をつなぐイメージをデザインしました。
現場の皆さんが気軽に地域の小さなコミュニティに関わる機会が増えれば、
相互に良いことがありそうです。
そうですね。支援の仕事の中で地域社会へさらに進出して、
これから現場の私たちが、皆さんと関係性を深めていくことは
とても大切なことだと思います。
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ご自身の「ともに働く」職場との出会いについて教えてください。
大学で福祉について学びまして、そのときに共働舎へ実習に来ました。
利用者さんが自由で、伸び伸びと制限なく活動している姿に惹かれました。
その後、ボランティアでもこちらへ来ましたが、やはりその時も、
ここで仕事をしたいと思いました。
それはもう、心をつかまれた、という感じでした。
働く今もこの印象は変わりません。
ここで仕事をする前にお店を訪れたことがありました。
雰囲気がとても良く、ここで働いてみたいなと思う場所でした。
私はまったく別の業界から福祉の職場に来ましたので、
障害のある人と一緒に仕事をするにあたり最初はどう関わるのか
難しそうだなというイメージがあったのですが、
利用者さんと働くうちに障害を意識しなくなりました。
例えば私たちには名前があり、東さん、黒田さん、というように
誰もが“その人”です。
不得意なことがあって、失敗することもありますが、それは私も同じです。
仕事をする中で、障害に対するイメージが変わりました。
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地域社会や企業との連携
ベーカリーショップ『はなむら』には、絶えることなくお客様が入ってきます。皆さんは挨拶で迎え、今日の商品について会話し、自然に多くのコミュニケーションが生まれています。
「ここは立地の関係で、はじめて来てくださる方には見つけづらい場所です。どこかで私たちの商品を知って、ここを探して来てくださる方もいますが、地域の方でも最初は “場所がわかりづらい…”と…。でもうれしいことに、一度来てくださった人たちがまた来てくださって、お友達を連れてきてくださるなど、人の繋がりが広がっていきます。おいしいと言ってくださって、お菓子などは御使い物にしてくださる人も多く、本当にうれしいですね。」(岡部さん)
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ちなみに後ろの本棚は“はなむら文庫”、自由に読むことができ一般の方へ貸し出しを行っています。
「『はたらき本舗』でつくる焼き菓子の中でも、フロランタンは東京ミッドタウンにある“ブーランジェリーボヌール”というパン屋さんで販売しています。これも櫛澤電機さんとのつながりから実現しましたが、ボヌールさんのレシピを『はたらき本舗』で忠実につくり出荷しています。」(我妻さん)
自分たちがつくるお菓子が販売されていることは、つくり手にとってワクワクすることです。
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右奥がフロランタン。
「その他には、地元の小学校でパンづくり教室を開催しています。昨年は開催できませんでしたが長い実績があり、利用者さんにとっても、地域の子どもさんたちと関わりを持つことができる貴重な機会です。」(我妻さん)
例年の秋祭りでも、近隣の小学生の皆さんが施設の会議室の一角を借りて、研究発表のブースを設けるなど、小さな繋がりを大切にしています。
「共働舎の向かいに『ハマっ子(JA横浜)』があり、そちらに私たちのパンやお菓子を置いてもらっています。その納品は利用者さんにお願いしています。JAの従業員さんや他の納品に来る農家さんたちに、共働舎のスタッフとして顔を覚えてもらい、少しずつ声をかけていただけるようになりました。何か困った時に助けていただくこともあるでしょう。利用者さん一人ひとりが、地域の人たちと関係性を深めることも大切なことです。こうした外に出る取り組みを増やして行きたいと考えています。」(岡部さん)
『ハマっ子(JA横浜)』でパンを買ったお客様が共働舎を知り、お店に訪れることも度々あります。岡部さんたちは、逆に共働舎に訪ずれるお客様に『ハマっ子(JA横浜)』のご案内をしています。
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開かれた、その先に
共働舎のホームページのトップ画面には、一枚の古い写真が映し出されます。
木立に囲まれた広場があり、遊具のように置かれた木材のまわりで遊ぶ子どもたちの様子は、楽しい声が聞こえてきそうです。
活動のはじまりを教えてくれる素敵な写真です。
「私たちは“んとすの家”という学童や、障害のある子どもたちの宿泊訓練、養護児童のファミリーグループホームなどの活動からはじまりました。」(我妻さん)
“んとす”
不思議な響きです。
帰宅してから、古い字引きを手にしてみました。
【んとす】(「…むとす」の転)…しようとする。
出典『新村出編、広辞苑、岩波書店/昭和四十三年、第一版・第二十九刷発行』
この辞書に載る最後の言葉です。
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「私たちは2020年に創立30周年を迎えました。法人名の“開く会”という名前には、この取り組みをはじめた人たちの、これから外に開いていこう、という強い思いがありました。そして長い時間をかけて、法人として社会の人たちとの繋がりをつくり、たくさんの人の力をお借りして、この地域に開かれた共働舎をつくってきました。」(我妻さん)
「これからも、障害のある方と地域社会の “接点“ をつくり続けていく事を、大切にしたいと考えています。」(岡部さん)